今日の事ではないが、思い出して書く。去る1月9日、稽古初めがあった。で、先生が都合で来られないので、下っ端初段の私も演武にかり出される。私は、少林寺拳法の演武は、かなりの数をこなしているのだが、合気道の演武は、ほんの数えるくらいの経験しかない。で、ほとんどぶっつけ本番状態で演武に望んだが、これが、合気道の演武とは、偉く違ったものだったらしい。高段者から、「XXさん(私の名前である)、緊張してガチガチになってませんでしたか?あんなに固くなっていたら技はかけれない。」と言われてしまった。私としては、緊張したつもりはなかったのだが・・・。むしろ、観客が少なく、しかも、下っ端という責任感のなさから、かなりリラックスして演武をすることができたとおもっているのだが。で、唯一思い当たること。そう、少林寺拳法の雰囲気で演武をしてしまったということである。合気道の演武の場合、技は大体はあらかじめ決めて置くが、後はその時々に応じて行うらしい。しかも、構えがない。間合いの概念も少なくても私のレベルでは、教わっていない。演武演武の間にあまり間をおかない。私に言わせると演武が始まると、次々に技をかけるのが合気道の演武らしい。ところが、少林寺拳法の演武の場合は、最初の構え、間合いの測り方、技と技の間には、まず、間を入れる。一例だと、剛法から始まり、剛法で、技が詰まると、柔法に移行し、最後は固め。ここまでが一つのグループである。この間は、技は止まることはなく、次々と繰り出される。もちろん剛法柔法固めの間には、ちょっとした間が入るが。で、このグループが終了すると、固められた方は逃げる為に、間合いが開く。単純に追いかけると逆に技をかけられる場合もあるので、ここで、一旦構え直し・・・等々、連続と間を上手く使い分けるのが、演武という意識がある。しかし、合気道では、そこら辺の意識があまり感じられない。また、相手に攻撃を仕掛ける時も、気合いを入れないのが合気道。そうなのである。合気道の演武では、互いの気迫を感じることはない。むしろ、そのような気迫をだしてはいけないように教えられる。今回は、気迫を十分だして、相手を攻撃した。相手の方も、演武に入ると怖いほどの気迫を感じたとのこと。この気迫を出しての演武が、合気道の方々には理解されなかったようである。